LOGINリーベという生物が生まれる遥か前の古の時代のこと。 高濃度の魔素で満たされたヴェルトモンドの大地は、精霊と呼ばれる生命が住まう園であった。 火の精霊、水の精霊、風の精霊―― 世界の理たる六属性の魔素と対応する六属性の精霊たちは、思い思いのままにヴェルトモンドを放浪し、互いが干渉することを嫌っていた。 内に秘める魔素が原因なのか、異なる属性を持つ精霊たちが遭遇すると常に争いが起こる。 争いが起これば、常に力の強いものが勝ち、弱いものが淘汰されるのは、群れることを厭う精霊の間では避けられないものだった。 勝った側は負けた側の魔素を取り込み、各精霊の力の均衡というのは次第に崩れていった。 力を持つ者にとって、自らの害となるものを力で排除することは非常に単純かつ効果的であり、闘争に慣れた精霊たちの力はやがて、ヴェルトモンド全土の魔素を喰らい尽くさんとしていた。 だが、類まれなる力を有した精霊であっても、未曽有の危機に瀕したヴェルトモンドを、苦難に喘ぐ弱き精霊たちを救おうとするものたちがいた。 後の時代に多大なる影響を及ぼした六体の精霊――ゼルカン、トゥルリム、セレ、ガレウス、ルシエル、そしてベルムント。 属性が異なるにも関わらず、六体の精霊は互いに協力することを惜しまず、そんな彼らの姿を目の当たりにした他の精霊たちの間にも、ある共通の意志が芽生えようとしていた。 それは抗争の意志であった。強大な敵を打破するために力を結集しようという意志であった。「――そして力を合わせた精霊たちはどうにか悪い精霊を倒し、平和になったヴェルトモンドでは、六体の大精霊の加護の下今度は仲良く暮らしましたとさ。めでたし、めでたし~」「あ、最後の方なんかテキトーにしめただろー!」 それまで部屋を満たしていた少女の朗読の声が止むや否や、向かいのベッドに腰かけていた少年の鋭い指摘が飛ぶ。 不満の表情を浮かべる少年に思わず少女は苦笑する。確かに最後の部分は意図的に省略して読んだが、何も朗読に飽きたとか、いいかげんにあしらったとか、決してそういった理由ではなかった。「そうだよジェナおねえちゃん、だいせいれいたちはこの後どうなるのー? あたし、気になるよぉ……」 少女――ジェナの視線の先では、少年の傍らに座る幼女が彼の言葉に同意して物語の続きをねだるが、その半開きの口からは
オルレーヌを守護する王国騎士団、その騎士たちを統率するロベール・オスマンはその立場の関係上、またはその実直さ故に非常に悩みの多い人物である。 例えば、魔物の勢力が強まっているため騎士団に所属する騎士の一人一人の練度を今一度見つめ直さねばならないことについて。 例えば、いつまでも身を固める素振りを見せない愛娘のことや、先日息子夫婦の間に生まれた孫への贈り物について。 悩みの種類やその重要度は様々であるが、目下のところロベールの頭を悩ませているのはそれとは別の事であった。「ふう――」 ロベールのために設えられた執務室内にて、彼は重苦しく息を吐いた。「オスマン騎士団長! 今お時間よろしいでしょうか!?」「む、来たか……入りなさい」 そんな重苦しい空気を払拭するかのように、部屋の入り口から慌ただしい声がかけられた。その声を聞くや否や、それまでの弱気だった顔色はたちまち霧消し、ロベールは騎士団長に相応しい超然とした面持ちで部下を促した。 室内には似つかわしくない甲冑の音を響かせながら、部下の男はロベールの席まで小走りでやってきた。「――ヌールの件だな?」「え、ええ……あちらの騎士隊長殿から連絡がありまして。……急ぎ、こちらの資料に今回の事件の概要を纏めさせていただきました」「ああ、感謝する」 ロベールは短く謝意を述べると、部下である騎士から恭しく手渡された資料に目を通し始める。 ――三方向から同時に行われた襲撃、広範囲にわたる街の損壊の程度、安否確認が取れた住人の割合は過去の事例と比較しても圧倒的に少ない。 資料に記されている内容は、どれを見ても今回の事件の凄惨さを物語っていた。「……だが、やはり想定より被害が大きすぎるな」 資料に通していた目線を外し、ロベールはその事実を確かめるように呟いた。 かつての十五年前の事件を皮切りに、ヴェルトモンド各地では魔獣による襲撃が激化しているのは確か
「――ったく、やっぱ何か隠していたみてえだな」 天を見上げながらグレンは恨めしげに呟く。横を見れば、眠りにつく前までそこにいたはずのエルキュールの姿がなかった。 もちろん通常なら大したことではない。用を足しにいったか、眠れないから外の空気を吸いにいったか、今この場にいない理由は幾つか考えられる。 しかし、エルキュールが出ていった理由はそんな気軽なものではないとグレンは半ば確信していた。 彼の目、彼の声、彼の態度は、あの時ヌール広場で別れたときとは明らかに異なっていた。その表情は失意や悔恨で塗れていた。明らかに異常な状態であったのだ。あのような人間が正常に行動できるとは到底思えない、得てして過ちを犯すものだ。 だからこそ、彼の行動には注意を払っていたつもりだったのだが、流石に疲れが溜まっていたようだ。 己の不覚に舌打ちしながらゆっくりと身体を起こし、エルキュールに掛けられたであろう毛布を脱ぎ去る。 彼はグレンが眠りにつくのを待っていたようだが、これに関しては甘いと言わざるを得ない。結果的にグレンを起こしてしまったのだから。 だが今はその甘さに感謝する必要があるだろう。おかげで、エルキュールの状態が想像よりも遥かに悪かったことに改めて気づくことができた。 寝ている人々を起こさないように静かに立ち上がる。 何も言わずに出ていったということは、きっとエルキュールはグレンが追ってくることなど望んでいない。加えて、彼と出会って僅か数時間にして立ち入っていいものかという逡巡もある。本当はこれ以上関わるのは間違っているのかもしれない。 頭では分かっている。ならば何故グレンは今立ち上がったのか。過去に捨て去った博愛の信条でも思い出したのだろうか。いかなるものが相手であっても、嘆きに喘ぐ人を見捨てることを認めない。甘く、愚かで、馬鹿げたかつての信条を。 その博愛が必ずしも世のため人のためになるとは限らない。それどころか、他者からの裏切りという形で自身に牙を向くことすらあることを、グレンは嫌というほど知っていた。 それでも、今回に限ってはこの行いをやめるつもりはなかった。街をただ守りたいから魔獣と戦うと言った彼の純粋な言葉を、家族について語っていた時のぎこちない微笑みを思うと、この現状は何とも悲しく、救いがないように感じられた。それだけであの優しくも哀れな男に
言葉を選ぶようにゆっくりと、エルキュールは自身の体験を差し支えないように語り始める。 ザラームのほかにも、フロンやアーウェ、魔人と化したアランの存在。自身の事と「アマルティアのもう一つの目的」には触れずに、事実を連ねていく。「君には無理をするなと言われたんだが、結局捕まってしまった。だけど、奴らは俺に攻撃を加える前に何やら通信機のようなもので会話をし、そのまま退却していったんだ」「おいおい……結局無茶してんじゃねえか……!」 グレンから悲鳴にも等しい声が上がる。申し訳ないという感情がエルキュールの心を掠めるが、彼の鉄仮面を割るには至らなかった。 エルキュールは相好を崩さず、淡々と続ける。「彼らが去る前に、王都がどうとか言っていたな。情報といえばそれくらいしかないな」 あの時の出来事はエルキュールにとってはあまりに刺激的で、正直記憶も曖昧であった。 それでも記憶の糸を辿り、建設的な会話をするように努めた。「王都ですか……そちらの方でも彼奴らが暗躍していた可能性がありますな」「ああ。あいつらはここの魔動鏡を乗っ取っていやがったが、その時のザラームの言葉は国全体に向けたようなものだった。そして、全国にその映像を送信するのに最も適したものは、王都・ミクシリアにあるものに違いねえ」「理論的にはそうですな。先日も王都周辺で魔人が確認されたとのことです。それは既に討伐されたそうですが、その騒ぎに乗じて潜入したのでしょうか」 王都の魔人騒ぎの件は、今朝の魔動鏡の放送の際に誰かが触れていた気がする。その後に特に異常は見られなかったという話だったが、その時からこの襲撃が仕組まれていたというのか。 アマルティアの執念を今一度思い知らされる。「ふむ、そのことも合わせて騎士団本部に申す必要がありそうですね」「こうなったらオレも王都の方に顔を出す必要がありそうだな……あまり気は進まねえが」 グレンもニコラスも、それぞれが自身の今後の
家から出て、とりあえずはこの街を出ようと考えていたエルキュールだったが、街が存外静かなことに気づきその足を止めた。 先ほどまでは辺りに魔獣が闊歩し炎に包まれていたというのに、今となっては魔獣の姿は忽然と消え、燃え盛っていた炎の勢いも弱まっていた。 それでも、ここまで倒壊した家屋が多いと復旧に時間はかかるだろう。すぐに以前のような生活に戻ることは見込めない。「……変に冷静な自分が嫌になるな」 どこか他人事のように荒れ果てた街を分析していたエルキュールだったが、不意にその眉を歪めた。 彼も当事者であることに変わりはないはずなのだが、その態度は不思議なほど落ち着いたものであった。 そんな光景に慣れてしまうくらい、長い時が流れたというのもあるだろう。 しかし、そんな量的な問題では到底片付けられないものが、エルキュールの心に重く沈んでいた。 アマルティアとの邂逅、それに伴う自己認識の変容。 世界と自分との間の壁が一際厚くなったような感覚をエルキュールは感じていた。「とりあえずの脅威は去ったのか……?」 せめて生存者が無事に避難できたのかだけは、この街を発つ前に確認しておくべきだろう。 この地に災害を招いた遠因として、それくらいは行って然るべきだ。「郊外に出てみれば何か分かるかもしれないな」 もう、あらかたの救助は済んでいるはずだ。そう判断し、エルキュールは歩みを進める。 ――目指すはアルトニー方面。ニースの方には足が向くはずもなかった。 ヌールには街の外に出る三つの門がある。 一つは、今朝アヤとリゼットを見送ったニースへと続く東門。 一つは、グレンと共に魔獣を狩りに言った際に通った北門。 そして、最後がアルトニー方面に造られた西門。こちらを通るのはおよそ三年ぶり、初めてヌールの街に来た時以来になる。 北ヌール平原に魔獣を狩りに行くとき以外は、この街から外に
『この世界にお前らバケモノが生きる場所なんざねえんだよ!!』 ――これは誰の言葉だっただろうか? あの頃のことは朧気ながらにしか覚えていないらしく、生憎とこの言葉の主の顔は思い出せない。 記憶が蘇るたびに心を抉られてきたというのに、不思議な感覚だな。 思えば、これが始まりだったか。 この世界に俺の居場所など存在しない。その事件を経てからというもの、心の片隅ではずっとそう思っていたんだ。 それでもこの世界で何とか生きてこれたのは、間違いなく母さんとアヤのおかげだろう。 当時、半ば廃人だった俺に教学を、道徳を、愛情を与えてくれた。この世界で生きる術を教えてくれた。 この恩は、きっと生涯忘れない。 母さんもそうだが、まだ小さかったアヤに苦労を掛けさせてしまったことは、謝罪しないといけないな。 ヌールに至るまで家もなく、魔物の脅威に怯えながら各地を転々としたことは、臆病な性格だったアヤにはさぞかし辛かっただろう。 ――そう、辛かったはずだ。辛かったはずなのに、俺が謝るたび「いつかお兄ちゃんを守れるくらい、強くなるから」と言って、笑いかけてくれたことは忘れられない。 その言葉通り、本当に強くなったのだから、本当に凄いと思う。 名の知れた魔法学校に入学したこと、臆病な性格を直すために人と話す練習をしてきたこと、数えだしたらきりがない。 もし、それらのことに俺の存在が関わっていたとしたら、少しは共に過ごした甲斐があったのだろうか。――いや、流石に厚かましすぎるな。 俺もそんな君たちに認められるために、共にいることを許されるために、必死だったな。 その中でも、魔人としての力を抑えることは容易ではなかった。 イブリスは外界にある魔素を吸収することで自らの糧とし、その際にコアが発光するのが特徴だ。 もちろんリーベである人間の世界で表立って魔素の吸収はできない。基本は人目のつかない夜に、場合によっては何日も行えないときもあっ